生地えびす祭りの歴史・由来

生地えびす祭りの歴史

富山県黒部市生地で開催されるこのお祭りは、漁業者達が大漁と海難無事故を海の神にお祈りするためのお祭りです。
黒部市の生地えびす祭りがいつ頃から始まったのか、詳細な文献などが残っていないのではっきりわかりません。 黒部市生地の高齢者の方々の中には子供の頃から「ローソク流し」の祭りとして親しまれ、 その行事は幼き日の楽しい思い出の一コマとして脳裏に残しておられる方も多いと思われます。
昔は生地えびす祭りは、毎年5月と8月の年2回行なわれていましたが、戦後間もない昭和26年から年1回と なり、観光面も重視されるようになったため行事内容も時代と共にかなり変ってきています。
黒部市生地における春秋の祭礼は新治神社において行われますが、 生地えびす祭りの場合は黒部市生地阿弥陀堂浜の「西の宮」で行われます。「西ノ宮」には、祭神も新治神社(誉田別尊外六神)と違った 神(蛭児命・・・エビス)が祭られています。

新治神社
西ノ宮

この生地えびす祭りの行事はまず本祭りの前夜(宵祭り)に「西の宮」に安置されているエビス、大黒の像を満艦飾 にした漁船(屋形船)に乗せ、供船に前後を守られながら笛や太鼓の音も賑やかに黒部市生地地区の海を一周します。

西ノ宮

昔は、子供達は屋形船の通るかなり前から海辺に集まり、家から持ち寄った竹や簀(竹や葦など をあらく編んだむしろ)やむしろなどで小屋を作り、その中で片栗粉に砂糖を入れたクズ湯をつくっ て食べ、船団が近づくと板切れにローソクに火をともして一斉に海へ流していました。
おみこしは海沿いの陸地を巡回して定められたお宮さんに泊られますが、エビス、大黒の像はそれぞ れ地引網のどこかの網主の家で泊られるしきたりでした。 そして翌日の昼、町並みを車に船を型どった山車(屋形)にエピス、大黒の像を乗せてこれを子供 達に引かせ、、おみこしはその後から巡回して「西の宮」におさめられ、その晩は「西の宮」へのお宮参りがあ ってこの祭りが終るのが一連の流れでした。
年月が経つにつれ、板切れにローソクを立てて流していたものが燈ろうに変り、 本祭りの山車も出されなくなりました。 現在ではこれらにかわって協賛行事として花火大会、演芸会など行なわれるようになっています。

生地えびす祭りの由来

えびす祭りの由来については黒部市生地の歴史が書かれている本をみても詳細が分かりませんが、その起 源は「えびす社」として平安時代には既に篤く信仰されていた兵庫県西宮神社ではないかと考えられます。
実際に兵庫県西宮神社では9月に渡御祭というものがあり、その内容はまず、神職や氏子が御旅所を目 指して練り歩き、御旅所祭斉行の後、船に乗り換えます。 御座船や供奉船など、色とりどりに装飾された十数隻の船団が西宮浜を周回し、縁の深い神社に参拝する、 というものです。
この祭りの一番古い記録は治承4年(1180年)であり、実際に海上神幸の様子を描いたものを見ても、 黒部市生地で行われているえびす祭りと似ていることが分かります。 黒部市生地は一時期港の役割を果たしていたことも考えると、 大阪からの北前航路の開発に伴いえびす信仰がこの地にもたらされたのではないかと思われます。
なお、このように神体や神霊を船に乗せて川や海を巡る祭礼のことは船渡御(ふなとぎよ)と呼ばれ、 河川や海と関わりの深い地域で広く見ることができます。 この渡御祭りのほか、えびす祭りに似た祭りとしては福岡県宗像市の「みあれ祭」というものも存在しますが、 いずれも海の安全と豊漁を祈念する祭りであるとされています。

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